戦前の治安維持法は10数万人逮捕/東京新聞
だれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因である
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/a2cbf1c81169570a43d73f7129129461
戦前、治安維持法は二度改悪され、国民の発言を封じ込めた。
出版法、新聞紙法、軍機保護法、国防保安法など、他にもさまざまな法が作られ、言論は統制された。同じ過ちは絶対に繰り返せない。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013121002000138.html
秘密保護法の恐ろしさ
「秘密保護法が言論の統制や弾圧に使われる恐れは拭い切れない。事実、戦前にそうした事態が起きている」
「特高警察」の著書があり、戦前の治安体制に詳しい小樽商科大の荻野富士夫教授(日本近現代史)はこう指摘する。
しばしば秘密保護法は、天皇制や私有財産制を否定する結社を禁じた戦前の治安維持法に重ね合わせて論じられる。軍事や政治の機密を定めた軍機保護法や国防保安法などの方が性質は似ているようにみえるが、荻野氏は「言論統制という観点では、治安維持法に近い」と説明する。
治安維持法の最高刑は当初、秘密保護法と同じ懲役10年だった。だが、最もよく似ているのは、政府が反対を受けながらもしぶとく、法案を成立させた経緯だ。
1985年、スパイ防止法が国会に提出されたが、野党の反発にあって審議未了で廃案になった。2011年には民主党の野田佳彦首相(当時)が秘密保全法制を提唱したが、法案提出にはいたらなかった。
治安維持法の原型は1922年に政府が提案した「過激社会運動取締法」だ。議会は、政府が同法を乱用することを懸念し、成立を許さなかった。しかし、25年、25歳以上の男性の投票を認める普通選挙法とセットの形で、治安維持法を成立させる。
荻野氏によると、「共産主義の取り締まりに限定する」と政府が約束したことで、議会が納得したという。安倍政権も秘密保護法で、秘密の範囲を拡大させないことを約束している。
戦前、政府は約束を守らなかった。治安維持法は二度、改定された。成立の3年後に最高刑が死刑となり、日米が開戦した41年の改定では、取り締まり範囲が広がって結社の「準備行為」と当局がみなすだけで検挙が可能となった。結局、対象は共産主義からジャーナリスト、宗教者に広がり、最終的に全国民に拡大した。
治安維持法の犠牲者遺族らでつくる「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟」によると、終戦までの約20年間に約7万5000人が送検され、約5700人が起訴された。逮捕は十数万人に上り、虐待や病死で1600人余が獄死したとされる。
針谷宏一事務局長は「さほどの反対がないまま法律ができ、国家権力が都合よく使っていった結果です」と話した。
荻野氏は治安維持法のように法を改定するどころか、秘密保護法については「官僚が細則で強化することは十分可能だ」と話す。「戦前の特高のように公安警察が活発化し、見せしめ的に運用されることもあり得る。秘密保護法は政権の国民に対する強力な武器になりかねない」
言論弾圧強まった戦前
1889年に公布された大日本帝国憲法は、国民の言論の自由をうたっていたが、「法律ノ範囲内」と条件が付いていた。憲法制定以前に、69年に出版条例、75年に新聞紙条例がつくられており、治安や風俗を乱す言論は禁じられていた。
当時の規制の狙いは何だったのか。中京大の浅岡邦雄教授(出版史)は「自由民権運動が盛り上がった時期で、政府批判を抑える意図があった」と指摘する。
言論弾圧が色濃く出たのは、1909年公布の新聞紙法だった。
日清・日露戦争に勝利し、産業が発展する一方、生活条件の改善を訴える労働者による社会運動が活発化していた。政府は国家体制を揺るがしかねない社会主義思想を警戒した。
新聞紙法により、裁判所の審査なしで、政府が新聞の発売禁止を命じることができるようになった。また、新聞発行に必要な政府に収める保証金が引き上げられた。「今で言うと数千万円単位の増額。政府に味方する裕福な層しか新聞を出せなくなった」(浅岡教授)
言論や思想の統制は大学に向かう。20年に問題になったのが、東京帝国大の機関紙に載せた森戸辰男助教授の論文だ。ロシアの無政府主義者クロポトキンの思想を解説しただけだが、「天皇制を揺るがす内容だ」と当局に認定された。結局、新聞紙法の「朝憲紊乱(びんらん)罪」で起訴され、禁錮3月の実刑判決を受けた。
「森戸事件」と呼ばれるこの言論弾圧について、広島大の小池聖一教授(日本政治史)は「影響力のある人物として当局に狙われた。秘密保護法が成立し、現代でも似たようなことは起こりうる」と警告する。
戦前は言論統制が強化されるばかりで、25年の治安維持法につながる。京都大の佐藤卓己准教授(メディア史)は「ロシア革命をきっかけに、日本にも広がりつつあった共産主義の運動を抑え付ける狙いだったのは明らかだ」と話す。
30年代以降、国家総動員法や国防保安法といった言論統制の法律が次々とできた。39年公布の軍用資源秘密保護法では、航空機が兵器として使われるようになったため、天気予報や気象情報も軍事機密になった。
国民の自由がじわじわと奪われていく状況は、フランスとブルガリア国籍を持つフランク・パブロフ氏のベストセラー「茶色の朝」の寓話(ぐうわ)に似ている。
毛が茶色以外の犬猫を飼うことを禁じた法律ができ、主人公はペットを処分する。法を批判した新聞は廃刊になった。茶色が支配する世になるが、主人公は「ごたごたはご免だから、おとなしく」して茶色の猫を飼い始める。しかし、法は拡大解釈されて以前に茶色以外の猫を飼っていた人も「国家反逆罪」になり、主人公はある朝、ドアをたたかれて…。
茶色はナチスが当初、制服に使った茶色にちなむ。主人公は「嫌だと言うべきだったんだ。抵抗すべきだったんだ」と悔やむが、遅すぎた。
「ネット時代 誰もが対象」
先の浅岡教授は警鐘を鳴らす。「秘密保護法ができた背景の一つに、少なくない国民が『自分は関係ない、大丈夫』と思っていた点がある。言論統制がいつの間にか国民の生活を脅かすことは歴史が証明している。今は誰でもネットで情報発信できる。逆に言えば誰もが弾圧を受けかねないことを忘れてはならない」