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【社説】起てよ全国の新聞紙<桐生悠々を偲んで>東京新聞

桐生悠々が信濃毎日新聞に書いた関東防空大演習を笑う・・・が

結果的に日本を軍国主義一辺倒に走らせるキッカケになったのは

皮肉である

米軍の空襲を懸念した軍部はバケツリレーなどの訓練を婦人会など

を通じて始めていたのを反骨のジャーナリスト桐生悠々は信濃毎日

新聞で切った

米軍が開発した焼夷弾は日本家屋と住宅密集度合いを踏まえて開発した

兵器でバケツリレーなどもってのほか、身一つで一目散に逃げるのが

唯一の対策。モタモタしてると火に巻かれて焼死する危険性が高い

これに地元を中心とした退役軍人たちで作る信州郷軍同志会が噛みついた

桐生悠々を首にしろ、出鱈目であったと謝罪広告を一面の掲載しろ

さもなければ信濃毎日新聞の不買運動を起こすと日本刀まで抜いて

迫った

信濃毎日新聞は全面的に従った

これを契機に全国の新聞は軍部に対抗する記事を一斉に削除する

ようになった

そして空襲の結果は、桐生悠々の危惧したことが現実となった

今日、桐生悠々はいない。桐生悠々に続く者もいない

桐生悠々に憧れる者もいない

昨今の解散総選挙のゾンビ大騒動に日本中がうなされている

マスコミはTVも新聞も雑誌もこのゾンビ大騒動を後押しして

TVのコメンテイターはこぞって声を嗄らし叫んでいる

このやらせ騒動の中で来る12月10日は特別機密保護法案が施行される

年が明け落ち着いたころには戦前の特高が警察検察に静かに復活して

いないとも限らない

今日のマスコミに起てよとどれだけ叫んでも無駄なこと

日本国民自身が起てなければ昨今の流れは止まらない

その日本国民はネットで日ごと夜毎の憂さ晴らしの誹謗中傷

あるいは似非仲間内での傷の舐めあい癒しあいで自己満足に浸るようでは

日本沈没が日ごとに現実味を帯びてくる

【社説】起てよ全国の新聞紙 桐生悠々を偲んで

2014年9月11日 東京新聞

 今年はこれまで以上に感慨深い日でした。きのう九月十日。明治から大正、昭和初期にかけて健筆を振るった反骨の新聞記者、桐生悠々の命日です。

 「言わねばならないこと」。弊紙が昨年十二月から随時掲載している欄のタイトルです。識者らの声を紹介しています。きっかけは第二次安倍内閣が特定秘密保護法の成立を強行したことでした。

 外交・防衛など、特段の秘匿が必要とされる「特定秘密」を漏らした公務員らを厳罰に処す法律です。公務員らには最長十年、特定秘密を知ろうと公務員らを「そそのかした」記者や「市民」には最長五年の懲役刑です。

◆言わねばならぬこと

 この法律は特定秘密の指定・解除が行政の裁量に広く委ねられ、「秘密の範囲が限定できない」などの懸念が指摘されてきました。

 特定秘密の範囲が恣意(しい)的に決められ、取材記者や行政監視の市民らが違法行為を問われれば、国民の「知る権利」や人権が著しく脅かされることになるからです。

 成立直後に行われた共同通信の全国電話世論調査では、法律に反対との回答は60%を超え、法律に「不安を感じる」と答えた人の割合も70%以上に達しました。

 国会周辺など全国各地で反対デモが行われ、今も続いています。私たちの新聞を含め、多くのメディアが反対の論陣を張りました。

 安倍晋三首相は「厳しい世論は国民の叱声(しっせい)と、謙虚に真摯(しんし)に受け止めなければならない」と語ってはいますが、その姿勢に偽りはないでしょうか。

 法案提出前、九万件を超えるパブリックコメント(意見公募)が寄せられ、八割近くが反対でしたが、提出は強行されました。運用基準づくりでも約二万四千件の意見のうち半数以上が法律廃止や条文見直しを求めていますが、抜本修正は見送られています。

◆旺盛な軍部・権力批判

 運用基準ができたからといってとても十分ではありませんし、私たちは今も、この法律自体に反対です。国民が、そして新聞が反対の声を上げなければ、政府は運用基準すら、つくろうとしなかったかもしれません。

 私たちの新聞には「言わねばならないこと」だったのです。

 この「言わねばならないこと」は、本紙を発行する中日新聞社の前身の一つ、新愛知新聞などで、編集と論説の総責任者である主筆を務めた桐生悠々の言葉です。

 悠々は晩年を愛知県守山町(現名古屋市守山区)で過ごし、自ら発行していた個人誌「他山の石」に、こう書き残しています。

 「言いたい事と、言わねばならない事とを区別しなければならないと思う」「言いたいことを言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならないことを言うのは、義務の履行だからである」「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。少(すくな)くとも、損害を招く」

 悠々は守山町に帰る前、長野県の信濃毎日新聞の主筆でしたが、敵機を東京上空で迎え撃つ想定の無意味さを批判した評論「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」が軍部の怒りを買い、会社を追われます。

 それでも一九四一(昭和十六)年、太平洋戦争の開戦三カ月前に亡くなる直前まで軍部、権力批判をやめませんでした。旺盛な記者魂は今も、私たちのお手本です。

 秘密保護法以外にも、今の日本は言わねばならないことに満ちています。例えば、外国同士の戦争に参戦できるようにする「集団的自衛権の行使」容認問題です。

 戦後日本は先の大戦の反省から行使できないとの憲法解釈を堅持してきました。その解釈を正規の改憲手続きを経るのならまだしも、一内閣が勝手に変えていいはずがありません。

 全国のブロック・県紙のうち、弊社を含む三十九社が、政府の解釈変更による集団的自衛権の行使容認に反対する社説を掲載しました。賛成はわずか二社です。

 地域により近いメディアがそろって反対の論陣を張ったことを、政府は無視してはならない。

◆「言論擁護」の先頭に

 悠々は一八(大正七)年、富山県魚津から全国に広がった米騒動で、当時の寺内正毅内閣を厳しく批判します。米価暴騰という政府の無策を新聞に責任転嫁し、騒動の報道を禁止したからです。

 悠々は、新愛知新聞社説「新聞紙の食糧攻め 起(た)てよ全国の新聞紙!」の筆を執り、内閣打倒、言論擁護運動の先頭に立ちます。批判はやがて全国に広がり、寺内内閣は総辞職に追い込まれました。

 政府が悪政に道を踏み外すのなら、私たち言論機関が起ち上がるのは義務の履行です。戦前・戦中のように犠牲を恐れて、権力に媚(こ)びるようでは存在価値はありません。日本を再び「戦前」としないためにも、悠々を偲(しの)び、その気概を心に刻まねば、と思うのです。


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