「元日本経済新聞記者はAV女優」という週刊文春報道に本人がコメント
「元日本経済新聞記者はAV女優」という週刊文春報道に本人がコメント ライブドアニュース 2014年10月5日 20時0分 僕は大したものだと思う、この女性!! 最後まで自分を貫いてほしいと思う ... 東大大学院でAVに出演、その経験をもとに社会学の卒論を書いて さらに加筆修正して卒業後に単行本を出版している その後に日経新聞で記者をやり、現在は社会学者としての文筆業との 両立のためらしい 裸を売る仕事は多くある もちろん心や身体を売ること事態が万国共通の古今東西の仕事でもある 能力を売るのが仕事である http://news.livedoor.com/article/detail/9327280/ 「日経新聞記者はAV女優だった! 70本以上出演で父は有名哲学者」 「週刊文春」(文藝春秋)10月9日号にこんな記事が掲載された。だが、これは日経記者が過去にこっそりAVに出演していたというだけの話ではなかった。 実はこの記者は、「鈴木涼美」の名で昨年6月に『「AV女優」の社会学』(青土社)という本を上梓している社会学者でもある。同書は、彼女が東大大学院時代に実施したAV業界周辺へのフィールドワークを元とする修士論文に加筆・修正したもので、小熊英二や北田暁大からも激賞された。 現在は日経を退社しているが、その理由はAV出演をすっぱ抜かれたためではない。「文筆業との両立に時間的/立場的にやや無理が生じたため」と彼女は語る。 今回の「文春」にかぎらず、芸能人や大企業社員の"AV出演歴"暴きは、週刊誌やネットの定番というべきものだ。かくいう本サイト・リテラも、似たような記事を一度配信したことがある。 こうした報道について、当事者の元AV女優でかつ社会学者である鈴木涼美はどう受け止め、どう分析したのか。彼女にアプローチしたところ、「文春」オヤジ的価値観では太刀打ちできない、刺激的な原稿を寄せてくれた。ぜひ一読してみてほしい。(編集部) ■「週刊文春」の「日経記者はAV女優」記事に書いていないもうひとつの問題■ 鈴木涼美(社会学者・文筆家) ジェルネイルの凄いところは、人本来の爪と人工爪との境目を極限まで無くしたということだと思う。チップで長さを出す場合を除いて、爪の基板自体は自分自身の爪を使うが、それを分厚いジェルでコーティングするため、丈夫さや質感は人工のつけ爪よろしく、細かいアートを施しても3週間くらいはそれを維持できる。マニキュアではこうはいかない。それはデリバリーヘルスやDCが風俗から「場」を取り除いたことで、プロと素人の境目を極限まで不可視にしたのと似ている。綺麗なホテルでオトコと性的な行為をして変わりに何かをもらうという行為自体は、そのオカネの何割かをお店にとられるかどうかという点を除いてプロでも素人でも変わらない。そういった意味で、もともと海外映画から連想されるような売春婦に比べて素人っぽい日本の風俗嬢が、さらに「風俗嬢」という一応の定義を脱ぎ捨て始めて久しい。 ただし、顔面とおっぱい丸出しの画像を全国に配信され、カメラの前で性行為をするAV女優は現在でも、非・AV女優とは一線を画したスキャンダラスな香りのする存在であるようだ。私が渋谷の文化村通りにあるネイルサロンの待合室で、その日に発売された「週刊文春」を開いて読んでいると、受付の案内係のギャルが「そのAV女優のニュース、今朝ネットでも流れてました」と前のめりで教えてくれた。そもそも私は各所からのメールの返信や、心配した友達からのLINEの返信に追われていて、ネイルサロンに行っている余裕はなかったのだけれど、ジェルネイルを3週間と3日放置していた私の爪は、日曜日の時点で右の小指と中指が折れていて、パソコンを叩いて原稿を書こうにも、どうにも都合が悪かったのである。 本来の爪に限りなく近いジェルネイルでも、コーティングによって無理やり長さを維持しているため、アクシデント的に折れてしまうというリスクがあり、またひとたび1本だけ折れると、むき出しになった自分本来の爪と他のジェルネイルが見た目も機能もアンバランスで、日常生活に支障をきたす。本来であれば私は予定が詰まっている日でも爪が折れてしまったら深夜に営業している歌舞伎町のネイルサロンに駆け込んで付け替えをするのだが、日曜日の20時頃、週刊誌の記者から突然電話がかかってきて、行きがかり上どうしても、予定の終わった深夜に取材対応をせざるを得ないことになったせいで、ネイル補修をしそびれていたのである。私は常々、友人らから、「昔の週刊誌の見出しみたいな経歴よね」と茶化されていたのだけれど、あまりにベタに週刊誌っぽいためにどこかバーチャルっぽくて、まさか本当に週刊誌の見出しになるとは思ってもいなかったため、その日から軽くパニック状態で走り回ったり引きこもったりしていた。だから、ようやくネイルサロンに行く予定をたてられたのが発売日の木曜日だったのだ。 取材・実際の記事・事後的な反応のほとんどの部分が、「日経」と「AV女優」と「親が学者」という点に焦点が当てられており、それはTwitterのフォロワーが1000人程度の、著作も初版3000部とかの、地味な文筆家である鈴木涼美のネームバリューを考えれば、或いはその鈴木涼美が明らかに「夜のおねえさん」について書いていることや、すでにいくつかの公の場でAV女優としての経験を語っていることを思い起こせば、或いは、「新聞社」と「AV女優」の混ぜたら危険な感じを思えば、しごく当然である。フェミ寄りの友人たちは、「新聞記者がAV女優」ということが週刊誌の見出しになること自体が悪趣味で職業差別的で前近代的で、チンコメディアのイデオロギーに吐き気がする!そもそも何がいけないの!と、私の変わりに怒ってくれてはいるのだが、「悪い」というのと「面白い」或いは「スキャンダラス」というのは勿論ちょっと違って、ヤンキーキャラの10代タレントが喫煙している現場写真よりは、20歳を過ぎていてもロリっぽかったり清純派だったりする女優が喫煙している現場写真の方が私たちは見たいのであって、週刊誌はその"見たい"に愚直に答えるメディアである。そもそも、AV女優にまつわる負のイメージ、とまではいかなくても、ある程度の蔑視や先入観が完全に消滅してしまえば、AV女優の一般的な意味での価値、つまりは金銭的な報酬などは暴落するのであって、だから私は所謂エロ分野を過剰にクリーンにしようとする議論にはいまいち乗り切れないのである。私が21歳の時に受け取った単体作品のギャラ80万円(正確には源泉徴収分を除いた72万円だが)の中には、31歳になった10年後に週刊誌に茶化されてお母さんに怒られるリスクもしっかり入っていたはずである。 無論、「混ぜるな危険」的なものをあまり混ぜないリスクヘッジというのはあってしかるべきで、例えば少なくとも企業の持つブランドイメージがあまりにAV女優の艶っぽい響きと角逐する場合は就職を避ける、という選択肢はある。多くの元AV女優はそういった良識を持ち合わせているのであるが、ピンク色のものも欲しい、白黒のストライプ柄も欲しい、と欲張る者はそれだけ負わねばいけないリスクが増える。週刊誌的なださい見出しで、10年前の垢抜けない写真を晒され、白い目で見られるなんていうのはできれば避けたい赤っ恥であり、無駄に親族を傷つける事故ではあるが、自分の選択が招いたあまりに予想可能なリスクと言えなくもない。「日経記者がAV女優」という見出しについては、問題はそのようなものである。 ただし、今回の文春報道には、それ以上の論点がある、と私は思う。それは「日経」「AV女優」「父が学者」という華やかな記号に隠れて見逃しがちな、「鈴木涼美」という名前にある。鈴木涼美は『「AV女優」の社会学』の著者であり、同書は、わざわざ「東京大学大学院で執筆した修士論文をもとに加筆修正した」などともっともらしい但し書きまでついて、約2000円もする人文書である。問題は、著者である鈴木涼美は、「AV業界をうろうろしながら」と自らのAV出演の経験を留保して、本書を記していることである。確かに私はAV業界の友人や恩人らの協力を得てAV業界をうろうろし、本書を執筆するに十分な証言を得たが、一方で自分もAV女優としての経験を持っていた。AV出演の経験を持っていることは、AV業界の魅力や問題点を知るのに、圧倒的に有利だったのではないだろうか。その自分の優位性を1行目で告白しないことは、研究者倫理に照らし合わせてどうなのか、少なくとも書き手の姿勢としてどうなのか。読者への敬意に欠けるのではないだろうか。 確かに詳しく読んだ人は必ず「自分も出てたでしょ?」と著者に聞いてきたが、本自体にはAV出演の経験については一言も明記されていない。これは計画的なものである。私は修士論文から出版物に修正する際にも、AV出演経験が明らかに推測できるような記述を減らし、著者プロフィールにあえて「元AV女優」という肩書を付けず、結果的に「著者がAV女優をしたことがあるのか否かはよくわからないがなんか地味で真面目そうな」同書ができあがった。執筆の背景・動機に個人的な経験があり、それを特筆しない著者はいるが、その経験が本の印象を明らかに変える場合は、「何を書いて何を書かないか」は大きな問題である。私は「AV女優が動機を語る動機」について扱う同書に、私のAV出演の動機を意図的に記さないことにした。それは間違った判断であっただろうか。考え続けてはいるが、現在のところ、正しかったという確信はもっていない。 名著と言われるフィールドワークを元にした本は、例えば『暴走族のエスノグラフィー』(佐藤郁哉/新曜社)や『ハマータウンの野郎ども』(ポール・ウィリス/筑摩書房)のように、現場に密着した研究者の記したものも、『搾取される若者たち』(阿部真大/集英社)や『ヤバい社会学』(スディール・ヴェンカテッシュ/東洋経済新報社)のように、著者自身が当事者となっている事自体を記述したものも存在するが、どれもある程度は自らの立場をはっきりとさせて出版されている。『「AV女優」の社会学』の著者は、「偏見を鑑みて」などという言い訳の裏で、どこかで自分の著作を読む偉いオジサンたちを「巨乳で馬鹿っぽいAV女優が書いたって知ったらどんな顔するの?」と嘲笑するような気持ちは持っていなかったと言えるだろうか。であるとしたら、これは大いに議論・批判されてしかるべき問題である。「日経記者がAV女優」であることよりも「鈴木涼美がAV女優」であることのほうが余程大きな問題を孕んでいる、と私は思う。 (鈴木涼美)